―叶わなかった想いは次の世で⁈―
時空を超えて貫く愛と贖罪の物語
先日、秋篠宮家の長女眞子さんが長い沈黙を破り、 “誰が何と言おうと彼と結婚します”という趣旨の結婚宣言をしました。日本の皇室も変わってきたなあ、と驚くと同時に、恋には古来から続く皇室のしきたりを破ってでも、好きな人に一直線に向かわせるほどのすごいパワーがあることを改めて感じます。
恋つながりで、時空を超える恋のお話。久々の退行催眠レポートをお届けします。
秋の初めにヒプノサイエンスラボを訪れたベティさん(仮名)は、4年前にある男性(仮にヨーゼフさんとしておきましょう)と出会いました。彼は既婚者でしたが、お互いに惹かれ合う気持ちに抗うことができませんでした。しかし不倫というハードルに疲れ、ステイホームやら何やらでトーンダウンしていき、とうとう疎遠な関係になりました。・・・このまま終わるのか、再会するのか?気になる男性への想いをどうしたらいいのか、高次の叡智を求めて、ベティさんのセッションが始まりました。
戦争に引き裂かれる愛
退行して降り立ったのは、イギリスの田舎と思しき農家。“私”は10代の金髪の白人少年で、唯一の友達である黒い馬と遊んでいました。両親は農園でジャガイモをつくり、少年はこの家の長男で、作物を運んだり弟や妹の世話をしたりする、親孝行な子供でした。
成長した私は大学で化学を専攻し、そのまま研究を続け、教授になります。
大学で教鞭をとりながら研究室ではある液体をつくる研究を進め、家には妻と子供がいて、公私ともに幸せな毎日でした。
時は流れ、街には戦争が始まりそうな気配が満ちています。私の作ったあの液体が武器として利用価値があるらしく、国家権力に狙われていることを危惧する私がいました。ある夜、私は妻子を連れて逃亡を図りますが、すぐに当局につかまり、そのまま家族全員処刑されてしまいました。亡くなる時、私の脳裏には美しい花畑で家族3人仲睦まじくピクニックをしている風景が広がっていました。・・・信念をもって研究をしてきたことは間違いではなかった。ただ戦争に翻弄されたことは不運だった、と私は思いました。自分のせいで不幸な死を遂げてしまった妻子への強い罪悪感に駆られながら、「また来世で妻に再会したい」と願いながら息絶えます。この妻が、現世でのヨーゼフさんでした。
そしてもう一つの過去世へ、向かいました。
鞍馬山の少年
宇宙から降りていくと、はるか下には日本地図が見えました。そして降り立ったのは京都の聖地、鞍馬寺の奥の院、魔王殿の前です。足元を見ると、下駄を履いています。
”私“は小学生くらいの男の子で、竹の棒を刀代わりにしてチャンバラごっこ遊びをしています。鞍馬山は私の遊び場で、家は山麓にあります。私は長男で、ここでも小さい妹や弟の面倒を見ています。家族で丸いちゃぶ台を囲んでごはんを食べ、川の字になって休みます。
私は成長し、小学校の先生になりました。妹たちは皆家を出ましたが、私はこの土地が好きで、両親と犬と生家に住んでいます。
ある夏の夕暮れ、小学生を連れて野外学習に出かけた際、ちょっと目を離した隙に、子供が一人川で溺れ、亡くなってしまいました。川辺に敷いた茣蓙に寝かされている子供の前で、ごめんねごめんね、と詫びている私がいました。この子がヨーゼフさんでした。
贖罪から仏門へ
罪悪感から教師を辞め、仏門に入った私は、世捨て人のように一人あばら家に住むようになりました。雪の中、裸足に下駄を履き、死なせてしまった懺悔の想いから、あえて過酷な環境に身を置いています。近所の子供たちが遊びに来ると、穏やかな顔で見守る私がいました。
その後、支援者が現れて立派なお寺に迎えられ、住職となった私。きらびやかなお寺で位の高い僧侶となり、人生最後の日には金糸の刺繍を施された枕、豪華なふかふかの布団に寝ていました。周りには弟子がずらりと並び、惜しまれながらこの世を去りました。
この人生のテーマは精進と忍耐。高潔な魂は生きているうちに認められ、高僧となっているので、懺悔の念はすでに浄化されているように見えます。
再会したその後は?
ハイアーセルフさんとの対話でも、ベティさんの禊はもう終わっているということ、そして今生では自分の幸せのための人生を歩みなさい、とのメッセージが降りてきました。
ベティさんの幸せとは、ヨーゼフさんと再会し、共に生きることでしょうか?それとも自身の進むべき道を見つけ、次のステージを生きることでしょうか?
現世で再会したからには、その大いなる愛を成就しさせてほしいところですが、その答えはベティさんの今後のストーリーに委ねることにしましょう。
あなたのパートナーとの出会いも、もしかしたら時空の彼方から続いてきた愛のたまものかもしれません。
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セラピストとして働く傍らで、スピリチュアル系、メタフィジカル系の書籍を多数翻訳し、日本に紹介し続けています。2014年10月他界したドロレス・キャノンの生前最後のメディア向けインタビュー記事を執筆したジャーナリストでもあります。