東京・吉祥寺 (Tokyo, Japan)
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歌姫の3つの過去世

歌姫の3つの過去世

意のままに咲き、輝きなさい。

パンデミック戒厳令のさなか、皆様いかがお過ごしでしょうか?

ヒプノサイエンスラボは可能な限りの対策を講じて通常営業を続けています。

本当に久しぶりの投稿ですが、今日は先週ヒプノサイエンスラボを訪れたフェリシアさん(仮名)のセッションレポートをお届けします。

ワンセッションで人生を変えるための仕組み

過去世探訪の前に、ヒプノサイエンスラボの退行催眠についてちょっとご説明します。

一般的なヒプノセラピーもドロレス・キャノン式QHHTも、約1時間かけて一つの過去世を見ていきますが、ヒプノサイエンスラボでは少し時間を延長して3つの過去世を駆け足で辿ります。理由は、魂の本質や課題、今後の展望をダウンロードするには、1つの過去世では不十分と感じられるからです。

3つの過去世を辿っていくと、多くの場合そこには魂本来の姿、提示された課題の答え、そして一番大事な今後のテーマが浮かび上がってきます。さらに3つの過去世で登場する人物たちに、現世での重要な人々が(人によっては何度も)重なります。滅多に訪れない機会ですから、この際少しでも多くの情報を引き出し、クライアント様の問題やモヤモヤがワンセッションですっきり解決するように、というセラピストの親心と、必要なことを全部伝えたいというハイアーセルフの願いにも合致している手法です。

それではセッションの話。フェリシアさんは音楽一家に育ち、若い頃から受賞歴のあるベテラン歌手。2児の母となった現在も変わらずステージをこなしていますが、そのキャリアに見合わずなぜか自信のなさがずっと付きまとい、歌うことを心から楽しめずにいました。

過去世① 声が出せない少女。白の時代。

早速退行して降り立ったのは、青い屋根のお城の中にある教会。パイプオルガンの音色が響き、正面には磔にされたキリスト像と祭壇があります。“私”は10歳くらいの少女で、カーテンで作ったノースリーブの粗末な白い服を着ています。教会では尼僧たちが黒い服を着て立ち働いていますが、誰も“私”に関心を払いません。お腹がすくと祭壇に置かれた果物を食べていますが、みんな見て見ぬ振りをしています。眠くなると壁伝いに細い階段を上り、お城の一番上にある、部屋と呼べないくらい小さく何もない空間で寝ています。小さい頃からここに住まわせてもらっているのですが、親しい存在と言えば教会に住み着いた白い猫一匹だけ。この猫にコーチという名前をつけて可愛がっています。

15歳になった“私”は教会暮らしに飽きて、小さな町の孤児院に住んでいました。孤児たちの世話をしながら寝食の不安のない暮らしです。子供たちを集めるのに笛を吹いて号令をかけています。その数年後、大きなお屋敷の主人にリクルートされた“私”は信頼され、不自由のない暮らしを手に入れました。他のメイドたちとは違う特別扱いでまったく会話がなく、白い服で白い花を活けていました。ここでようやく気づきました。“私”は声が出せない障害者だったということに。教会での長い孤立、孤児院での笛の合図など、ずっと言葉を発することがなく1人でしたが、それをつらいと思ったことはありませんでした。その後数年で短い一生を終えましたが、猫のコーチ、お花や芝生の緑を愛で、清らかないい人生だったとフェリシアさんは振り返りました。

過去世② オペラのプリマドンナ。赤の時代。

“私”は貧しい家のそばかすだらけの子供で、わらを敷いた山羊小屋で生活しています。母は美しい声の持ち主で、“私”は母の歌声を聞いて育ちます。5,6歳になったある日、黒いスーツを着た中年の男性が迎えに来ました。私は家族の元を離れ、旅の一座の見習いとしての生活が始まりました。馬車の後ろのようなスペースで暮らし、見習い劇団員として黙々と仕事をしていました。ある日私はお金持ちのパトロンに見出され、劇団を出て煉瓦造りの古いアパートに住み始めます。ボイストレーナー、美しいステージ衣装など、歌うために必要なことは何でもしてもらい、私はみるみる歌手としての才能を開花させていきました。

二十歳になった私はオペラの主役を射止め、舞台の中央に立っています。ウェイビーな長い黒髪に大きな帽子をかぶり、真っ赤なドレスで歌う私に不安はなく、自分はプリマドンナだという輝くばかりの自信にあふれています。他の人とは明らかに違う、ソプラノの美しい響きに共演者たちも耳を傾けています。住居は同じ古いアパートで、ピアノが置かれ、犬がいます。食事はメイドが作ってくれ、ドライバーが劇場の送迎をしてくれます。

時は流れ、堂々とした老婦人になった私は、優れた歌手として築いた名声を誇りに思っています。毎日通ってくれたファンの方もいましたが、自分の立場とプライドから生涯独身を貫きました。歌に人生を捧げた孤高の人生で、他人を寄せ付けず、弟子もとらず、友人を家に招くこともしませんでした。「私の歌を聞きなさい」という強い自己主張から、周囲の人には距離を置かれていたかもしれません。人生最後の日は自分の部屋の大きなダブルベッドで、白髪をみつあみにして横たわり、誰にも看取られず眠るように天に召されました。やり残したことは一つもない、舞台に映える赤いドレスが大好きだった一生でした。

過去世③ 巫女から家庭人へ。光の時代。

鎌倉。“私”は鶴岡八幡宮でご祭神に奉納する舞を舞う巫女です。舞を指導してくれた老婦人が遠くから私に呪文を送り、私が躍ると手から白い鳩がぱあっと何羽も飛び立っていく様子が見えます。光があふれています。私は神様とつながり、トランス状態で無心に祈り、踊ります。実家は立派なお屋敷でしたが、私の霊力を見込まれ、小さい時からここで修行してきたので、今では古参の立場です。

私はある日、雅楽の笛の名手と恋に落ち、二人で鎌倉を出て遠いところで新しい人生を始めました。貧しいながらも2児を授かり、近所の子供たちに書道を教えて生計を立てています。神様が結び付けてくれた夫婦なので、巫女を辞めたことに未練はなく、とても幸せな日々です。ただ、笛の名手だった夫に演奏の機会を奪ったことが心残りでした。

穏やかで幸せな一生が過ぎ、子供と孫に看取られて穏やかにこの世を去りました。先に逝った夫が雅楽の正装の姿で迎えに来て、私の心残りを解消してくれました。巫女としても、妻、母としても、君はいつでも輝いていたよ、と教えてくれました。

生きるとは輝くこと。人はみな光の存在。

セッションを終え、フェリシアさんの迷いはすっかり消えていました。声を失った時代があるからこそ、今歌えることの喜びに感謝できる。ヨーロッパの歌姫だった時代が今の自分に自信を与えてくれる。そして巫女を経て、神様が授けてくださった夫と子供たちとの暮らしは、祈りや光とともにある、一片の悔いもない人生でした。そしてフェリシアさんの魂が最も輝いているのが、歌っている時なのだという気づきがありました。

生きるとは輝くこと。人はみな光だということ。命が終わるその日まで、あなたが望むように魂を輝かせ、花を咲かせなさいという、ハイアーセルフからの言葉でセッションを終えました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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